TOKAI UNIVERSITY PRESS
近刊予定・催事案内等
過去3か月の新刊紹介
書名・著者名・ジャンル・目次等から検索
購入方法と販売規定
知的読み物ウェブ編集室
話題の書籍などを紹介
入会・変更・退会手続き
沿革・組織情報等を紹介
学部・研究所等の紀要
加盟団体・学会など
オンライン正誤表
書店様専用
購入予定書籍を確認
 

 『アンナ・カレーニナ』や『戦争と平和』は、それとの最初の出会いやそれから受けた第一印象をはっきり覚えている私であるが、『復活』の場合、不思議とそれがはっきりしない。
 “カチューシャ可愛や別れの辛さ”の歌の文句はごく幼少の頃から耳にしており、『復活』という書物の名前だけは、この三部作のうち一番早く知ったに違いないのだが、最初の出会いの強烈な印象というのが胸に浮かんでこない。『人は何で生きるか?』や『イワンの馬鹿』でトルストイと劇的な出会いをした私が、引きつづき五高時代に『アンナ・カレーニナ』と、そして大学入学後『戦争と平和』と出会った時までは、トルストイは私にとって、まだまだ、いわば驚異であったが、その後次々と読み進むにつれて、彼は私にとって驚異の対象というよりも、寧ろ親しみの対象と転化して行ったせいかもしれないと思う。だから私は、自分がこの作品を最初に手にしたのがいつであったかはっきり言うことは出来ないが、それが大学在学中であったことは確かであり、その中にある痛烈な教会批判について、母方の祖母塩見スマと語り合ったことをかすかに覚えている。よき意味での正教会信者であった祖母が、トルストイに感嘆しながらも、教会に対するトルストイの毒舌(?)に少々辟易していたのを思い出す。
 しかし、出会いの印象の鮮烈さによってでなく、別の事情によって、この書は前二作と同様、私の青春時代に深いかかわりを持つことになった。実は私が東大英文科に入学した昭和八(一九三三)年に、例の京大事件が勃発したのである。時の文部大臣鳩山一郎が、当時京大法学部の刑法の教授であった瀧川幸辰先生を、京大教授会に諮ることなく罷免したという事件であった。抗議のストライキが京大で起こり、それが東大にも波及して、安田講堂一帯が騒擾の渦に捲きこまれた光景については、まるで昨日のことのような鮮烈な印象が私の中に残っている。最初さっぱり事情の分からない私は、それが一部学生のはねっかえり的行動であろうといった感じを持って、至極冷淡にその騒ぎを見守っていた。しかしある時、私の五高時代の級友で、法学部に籍をおくN君が、瀧川先生罷免の本当の理由は、先生が中央大学で行なわれた《トルストイの『復活』の中に現われた刑法思想》という講演だそうだと告げたので、忽ち先生に対する関心を覚え、とうとう昭和九年の十二月、冬休みで帰省の途中、京都は山科の先生のお宅を訪問することになったのである。それが機縁で爾後瀧川先生 との、同時にまた御一家との長い長い交際がはじまり、先生亡き後も今なお御一家との交際をつづけているが、何はともあれ瀧川先生との出会いが、私に『復活』をぐっと身近なものとさせたことは間違いない。先生との長い交際の期間、先生にも三度湯山(熊本県水上村)のわが家を訪ねて頂き、私も山科のお宅に一週間に亘って泊めて頂いたりしたが(そのとき先生の紹介で河上肇先生の知遇を得た顛末については、嘗て『中央公論』に発表させてもらったことがある)、その間『復活』はしばしば二人の話題となった。尤も瀧川先生御夫妻は揃って『戦争と平和』を、そして又本多秋五先生の『「戦争と平和」論』を読んでおられ、時あたかも戦争中のことで、日本軍部の横暴がいつか挫折して、民衆が軍国主義の呪いから解放される日が来るであろうことを待ち望みながら、例のクトゥゾフ将軍の《時と忍耐とが全てを解決する》という言葉をよく引用されていたことを思い出すが、何といっても先生と私との主要な話題は『復活』に集中したのである。
 『復活』については、古来さまざまの人がさまざまの感想をのべ、さまざまの解釈なり評価なりを下しているが、中には全然読みもしないで、“カチューシャ可愛や”の歌や『復活』の映画などから、それが一篇のメロドラマと勘違いしている筋もあると思う。これも戦争中のことであるが、当時の湯山小学校の児島校長と温泉の湯槽で一緒になった時、児島校長が《『復活』というのはニェフリュードフとカチューシャの恋愛小説だと思っていたら、実際に読んでみて、その社会批評の鋭さにびっくりしました》と語ったのを思い起こす。その意味で私は、活字離れの云々される今日こそ、なるべく多くの人に、もう一度じっくりと、このトルストイの晩年の掉尾の大作に取り組んで頂くよう願わずにはいられないが、刑法学者である瀧川先生は、前述の通り『復活』に現われた刑法思想に最大の関心を示されたのである。勿論『復活』はいろんな問題をその中に含んでいるが、この私にしても、もし《『復活』の中でトルストイが心をこめて訴えているものを一言にして述べよ》と言われたら、それは《人には人を裁く権利はない》ということを訴えているのだと答えたい。
 そこで瀧川先生の中央大学での講演にかえるとして、先生はそこで『復活』の中には、《刑罰からの犯人解放は、犯罪からの人間解放である》という思想があると述べておられる。その事については、その後瀧川先生は、これはトルストイの刑法思想を紹介したのであって、京都帝国大学教授としての自分の思想を述べたのではないとことわっておられるが、その頃、時を同じうして世に出た先生の『刑法読本』(ラジオで連続放送された内容を纏められたもの。この本が京大事件の最初のきっかけだという人もいたが)に、先生の教え子である中国の女性が《刑罰からの……云々》の文句の書かれた先生直筆の書を長くひろげている写真が掲載されていること、いつか私のうちを訪ねて下さった時にも、《昔の哲人は“刑は刑なきを期する”と言った。いま私は言う“刑罰からの犯人解放は、犯罪からの人間解放である”と》という書を書いて下さったのを見ても、それがほぼ先生御自身の思想的立場であったことが窺える。その講演の内容を知った文部省の役人たちが、これは国家否定の思想に通ずるとあわてたのも無理はない。トルストイは確かに、牢獄や絞首台によって維持される 如き国家を否定しているからである。『復活』の中でトルストイ自身が述べている所を引用しよう。
 「何よりもニェフリュードフを憤激させたのは、裁判所や官庁に納まり返っている連中が、人民から集めた税金から莫大な俸給を受け取って、同類の役人たちが、やはり俸給ほしさに書いた書類を調べ、自分たちの書いた法律を犯す人たちの行為にいろんな条項を当てはめ、その条項に照らして、彼らを自分らの眼の届かぬ遠隔の地に送ってしまい、ために、彼らはその地で、残忍で粗暴化した典獄や看守や護送兵の手中に陥って、精神的にも肉体的にも数知れず滅びていくという事実であった。
 監獄や駅逓の実状を詳細に知って、ニェフリュードフは、囚人たちの間に蔓る悪徳――泥酔、賭博、残忍、その他囚人たちの演ずるいろんな戦慄すべき犯罪、それに人肉啖食も、偶然の出来事でなく、愚鈍な御用学者どもが説くような頽廃現象や犯罪型や異常性格の現われでもなくて、人が人を罰し得るという奇怪な迷誤からくる必然の結果であることを見てとった。ニェフリュードフには、人肉啖食が密林内で端を発したものでなく、実は種々の官庁や委員会に源を有し、それが密林内で実現したものだということが分かった。また、たとえば自分の姉婿にしても、また廷吏から大臣にいたるすべての裁判所や官庁の役人たちにしても、彼らの口にする正義とか人民の福祉などといったものはどうでもいいので、ただ、そうした堕落や苦悩を発生させる自分たちの仕事に対して貰えるお金が必要なだけであることが分かった。そのことは、もう一点の疑いもなかった。
 《してみると、これはみんな、ただの思い違いから起こっているというわけではないのではあるまいか? 何とかして、これらの役人たちに俸給を間違いなく支給して、それに賞与さえやってもいいから、ただあの連中が今やっていることをやらないように出来ないものだろうか?》とニェフリュードフは考えた。……」(第三編一九章)
 以上をもってしても、トルストイの『復活』に現われた刑法思想が、人には人を裁く権利はなく、人々がそうした越権行為を止めることこそ、換言すれば刑罰よりの犯人解放こそ、犯罪よりの人間解放である、ということだと分かるであろう。彼らが、その「ただ、そうした堕落や苦悩を発生させる自分たちの仕事」を止めてくれさえすれば、彼らに彼らの欲する俸給だけでなく、賞与までくれてやってもいいくらいだと、ニェフリュードフの口を藉りてトルストイは言っているのである。更にトルストイはニェフリュードフの口を藉りて、いわゆる犯罪者たちの構成が、以下の五種類の人々に分類されている事を述べている。
 (一) 裁判の誤審による犠牲者で、完全に無実の人たち。全囚人の約七パーセントがそうらしい。
 (ニ) 例外的情況、たとえば激憤、嫉妬、酩酊といった情況下にやった行為。同じ情況下では、裁いたり罰したりする側の人たちも略間違いなくやったに違いないような行為のために裁きを受けた人たち。この部類の人たちは、ニェフリュードフの観察では、ほとんど全犯罪者の半数以上といってもよかった。
 (三) 自分たちとしてはごく当たり前の、いい事とさえ言える行為だけど、ほかの人たち、法律を作成する人たちの意見では犯罪と考えられる行為をやったために罰せられた人たち、たとえば酒の密売者、密貿易者、大地主や官有の森で草を刈ったり薪を取ったりする人たち等々。
 (四) その人たちが道徳的に社会の水準より高い所にいるばかりに、罪人の中に数えられている人々。たとえば分離派教徒とか、自分たちの独立のために叛乱を起こすポーランド人やチェルケス人とか、権力に手向かったために裁きを受けた社会主義者や同盟罷業者といった政治犯人たち。そうした人たち、つまり社会の優秀分子の割合いは、ニェフリュードフの観測では非常に大きかった。
 (五) 最後に、その人たちが社会に対して罪があるというより、社会が彼らに対してずっとひどい罪を犯している、といった人たち。これはマットを盗んだ少年とか、その他ニェフリュードフが監獄の内外で見た無数の、絶えざる虐待と誘惑下に放置され愚鈍化された人たちで、いわば環境がその人たちをいやでも着々と犯罪と呼ばれる行為に駆り立てるといった人たちである。ニェフリュードフの観測によれば、その時そのうちの幾人かに彼が接触を持った多くの泥棒や人殺しが、その部類に属していた。彼は緻密な観察の結果、新しい刑法学派が犯罪型と呼び、それが社会に存在することが、刑法や刑罰の不可欠性の主要な根拠と認められているような腐敗堕落分子もまた、これに編入した。これらの所謂堕落した、犯罪型の、異常性格の人々というのは、ニェフリュードフの観察によれば、その人たちが社会に対して罪があるよりも、社会がその人たちに対してもっと罪があるといった人たちと変わりはないが、ただ社会がその人たちに対して罪があるのは、現在、直接彼らに罪があるというのではなく、ずっと以前、既に彼らの両親たちや先祖たちに対して罪があるといった人た ちだった。
……(第二編三〇章)
 (一)、(ニ)、(三)、(四)もさることながら、(五)を比較的詳しく引用したのは、実は私の家で瀧川先生から聞かせて頂いた、トルストイとは最後まで親交のあったゴールデンワイゼルの著書のことを思い出したからである。それはやっぱりトルストイの『復活』に現われた刑法思想について述べられたもので、『犯罪としての刑罰と、刑罰としての犯罪』という、ドイツ語で書かれた書物だった。その書物の内容を湯山で私に紹介された先生は、後になって書物そのものを私に送って下さり、長いこと私の手許にあって、先生のお亡くなりになるしばらく前にお返ししたのを記憶しているが、つまりそれは、人が人を裁く刑罰行為こそ最も悪質な犯罪と見、そうした悪質な犯罪に対する刑罰こそ、所謂犯罪と呼ばれる行為にほかならない、という主張を含んだ書物であった。湯山の草深き小径を並んで歩きながら、先生が熱っぽい口調でその書のことを説明して下さった思い出は、今日も鮮やかに私の脳裡に蘇る。新しい刑法学派が犯罪型と呼び……云々の新しい刑法学派とは、ほかならぬロンブローゾ一派であることを、そのとき教えられたように思う。そのロンブローゾがヤ ースナヤ・ポリャーナを訪れて、トルストイと論争したことをトルストイの末女アレクサンドラ・トルスタヤ(彼女はつい最近アメリカで、九十五歳の高齢で逝去した由を新聞は報じた。彼女に天国を給え!)が『我が父の思い出』の中で紹介しているが、同じ人の子を犯罪型ときめつけ、それを以て刑罰是認の口実にする愚鈍な御用学者に対して、トルストイがいかに烈しい怒りを覚えたかは想像に難くない。彼にしてみれば、どうしてもこの世に犯罪型が存在するものならば、そうしたことを言う愚鈍な御用学者こそ、ほかならぬ犯罪型だと叫びたかったであろう。
 勿論『復活』は単なる刑法思想の書でなく、同時にそれは青春のロマンでもあり、何よりもある意味でトルストイの懺悔の書と言える。今を去る略半世紀前、五高の頃の田中辰二先生が、文学史の講義の中で、トルストイの『復活』が尾崎紅葉の『金色夜叉』や徳冨蘆花の『不如帰』等の所謂家庭小説に影響を及ぼしていると語られるのを聞きながら、田中先生の口に出されたトルストイという名前がせつない程なつかしくて、涙が溢れ出たことをふと思い起こすが、『復活』の中には、そうしたふうの影響を諸外国の文学に及ぼす要素もあったであろう。しかしながら私としては、前述の如く瀧川先生との出会いという個人的事情もあって、どうしても、まず第一に、京大事件当時の文部官僚を《国家の刑罰権否定につながる》として慄え上がらせた、人には人を裁く権利があるか? という問題に焦点を当てざるを得ないし、それを無視した一切の『復活』論議はナンセンスに過ぎないと思うので、更にその問題を追求してみたい。
 人が人を裁く理不尽さの中でも、最大の悪逆無道は死刑であろうが、いわゆる刑法学者によれば、最初に学問的に死刑廃止を唱えたのはイタリーの学者チェザーレ・ベッカリーヤだと言う。この事に関して瀧川先生は、その『刑法史の或る断相面』という著書の中で、実はベッカリーヤに先んじてトマソ・ナタレという人が逸早く死刑廃止論を唱えている、と書いておられる。それを読みながら私は、どうせトマソ・ナタレまで遡るのなら、どうして仏陀やイエスや孔子やソクラテスに遡ってはいけないのか、と思った。仏典や福音書や論語やプラトンの対話篇(たとえばクリトン篇にはっきりそれが出ている)を心して読めば、この四人が比類なく偉大な、徹底した死刑廃止論者であったことは歴然としているではないか!
 要するに、私が言いたいのは、真に偉大な人類の師こそ、同時に偉大な刑法学者であり、彼らは一様に人が人を裁く権利を否定しているということである。前記の四人以外に、たとえば老子を考えてみよう。老子の《天網恢恢疎にして失わず》という言葉は、往々にして《悪いことをすれば必ず警察に捕まる》という意味に取られがちだが、それはとんでもない間違いで、人間が人間を捕まえて罰したりしてはいけない。それこそ生兵法は大怪我のもとで、そんな越権行為から善事の生ずるいわれはない。そんな越権行為なしで済むように、ちゃんと天の網というものがあり、その網の目は粗くて何もかも漏れそうだけど、実は漏らしていけないものは絶対に漏らしはしない。だからわれわれは、謙虚に全てを《復讐は我に在り、我これを報いん》という者に任せて、われわれ自身はただ、お互いに七度を七十倍して(イエスの言葉を藉りれば)赦し合っていさえすればよい、ということなのである。その事は、その言葉と前後して老子が、《大匠に代わって削》ったりすれば、つまり素人が本職の大工さんを押しのけて削ったりすれば、怪我をするのがおちであるという意味のことを言っ ているのでも分かる。小西増太郎と共に老子を露訳したトルストイは、ちゃんとその事を知っていたと思う。この天網恢恢の言葉の中にもはっきりと、人が人を裁くという生兵法はやめて、寧ろいわゆる犯人を刑罰から解放することこそ、犯罪からの人間解放であるという思想が表明されているではないか!
 トルストイはそれら諸聖賢の言葉に耳を傾け、自らも血の滲む思策の末到達したその思想を『復活』という文学作品の中に結晶させた。いわばそれは『復活』全篇を支えるバック・ボーンである。ヤースナヤ・ポリャーナの草葉の蔭から、今なおトルストイはそのことを世界に向かって訴えつづけている。そのことに知らぬ顔の半兵衛をきめ込み、顧みて他を言う一切の『復活』論議を私は信用しない。それは生きた人間から背骨を抜き取って、それを囲んで注射よ薬よと騒ぎ立てる藪医者の集まりに酷似しているからである。
 『復活』が早くからトルストイによって構想され、一八九九年、著者七十一歳の年に出版されるまでの種々の経緯、出版後の各方面の反響等々、紹介すべきことは無数であるが、それらについては、あまりにも多くの人々が触れているので、ここでは触れないことにして、どうせ型破りの“あとがき”になってしまった序に書かせてもらえば、『復活』の中で人が人に加える刑罰を全て否定したトルストイは、夥しい数の人間同士が互いに死刑を宣告し合い執行し合う“戦争”というものを烈しく否定した。その意味で彼の戦争否定は、一直線に彼の刑法思想に連なっている。私自身少年の頃から“天に代わって不義を討つ、忠勇無双のわが兵は……”などと歌わせられて来たが、『戦争と平和』の中でトルストイが紹介しているところの、セント・ヘレナにおけるナポレオンの自己弁護にも見られるように、古来殆ど全ての戦争行為が“天に代わって不義を討つ”ため、公共の福祉のためという美名のもとに行なわれている。これ程頻繁に、これ程大量に、これ程仮借なく不義を討たれつづけた人類の間には、既に悪人など一人もいなくなっていそうなものであるが、果たしてそうであろ うか? カントはその永久平和論の中で、《戦争は悪しき人を除くよりも、悪しき人を生む点に於いて悪し》と言っているが、古来の戦争は姑く措くとしても、現に今日、地表で行なわれつづけている戦争がいかに人心を荒廃せしめているか、地球を住むに堪えないものにしつつあるか、目ありて見るを得る者は見よと叫ばざるを得ない。トルストイにとって、凡そ聖戦なるものが絶対に存在しないこと、換言すれば《善き人殺し》や、《善き人殺しの準備》や、《善き人殺し道具》などと言うのは、彼にとって《乾いた水》と言うが如き名辞矛盾(contradictio in adjecto)であることをも『復活』がこれを証していることに思いを致して頂くことを読者諸賢にお願いしつつ、あとがきのペンを擱きたいと思う。
(一九七九年十一月)

Copyright (C) 2010 Tokai University Press all rights reserved.
このサイト掲載の文章・イラスト・写真等の無断転載を禁じます。